近現代建築資料

平成25年度 第4回研究会「20世紀のダイヤモンド誌『週刊ダイヤモンド』デジタルアーカイブズについて」

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歴代の週刊ダイヤモンド

(1)『週刊ダイヤモンド』100年 デジタルアーカイブズの発見 —過去・現在・未来のスタイル—
発表者: 坪井 賢一

ダイヤモンド社創業100周年(『週刊ダイヤモンド』創刊100周年)記念事業として、発表者は、紙の劣化と欠本を解消すべく電子化されていなかった1913(大正2)年の創刊号から2000年までの『ダイヤモンド』誌全てをデジタル・アーカイブすることを決めた。この「『週刊ダイヤモンド』デジタルアーカイブズ」を制作したことを通じて、経済雑誌の近代史を知り、そして未来を展望する様々な発見があったという。
本誌は、31歳だった経済記者・石山賢吉(1882-1964年)が2人の仲間とともに編集、発行したことに始まる。編集権が独立し、また記者の多様な価値観を認め、眼前の事実を重視して物事の本質を見抜く実用主義によって発行されてきた。例えば、武蔵野美術大学の前身・帝国美術学校の初代校長を勤めた北 昤吉(1885-1961年)も、一時期は定期寄稿家として政治評論で活躍した。他方、読者層や雑誌の構造は時代とともに変化し、創刊から1940年代までは近代資本主義の成長に伴って経済誌として読者を増やし、第二次大戦後は週刊化された。50-60年代の高度経済成長期には専門性を高め、70-80年代には日本を代表するビジネス誌となった。さらに90年代からはビジネスに加え、ビジネスマンの家族・ライフスタイルへと主題を広げてきている。
近年では、雑誌に加え、ウェブサイト上での展開も活発になってきており、1999年以降21世紀の記事は、PC、スマートフォン、タブレット端末での検索と閲覧が可能になり、最新情報を定期購読者へ配信する「Daily DIAMOND」、毎日更新するビジネス情報サイト「ダイヤモンド・オンライン」など多様なメディアを駆使し、読者に情報提供を行っている。そして、冒頭に述べた「『週刊ダイヤモンド』デジタルアーカイブズ」も自社での編集企画に活用するだけでなく、図書館利用などを通じて一般向けのデジタル・コンテンツとして活用されてきている。このように時代に即応してきた『週刊ダイヤモンド』は、デジタル媒体上でも今後、新たな展開を見せていくことになるだろう。


(2)20世紀のダイヤモンド誌「『週刊ダイヤモンド』デジタルアーカイブズ」
発表者: 藤崎 登

続いて、同社にてデジタル関係の業務を担当し、本アーカイブズにも深く関わってきた発表者が、実際の制作の流れについて説明した。
「『週刊ダイヤモンド』のデジタルアーカイブズは、正式名称を「20世紀のダイヤモンド誌『週刊ダイヤモンド』デジタルアーカイブズ」と言い、現在、社内での資料として活用されている他、公共図書館や大学図書館向けのサービスとしても提供されている。総冊数約3,800冊、総ページ数約45万ページに及ぶ膨大な量の電子版が、PC上のwebブラウザーから閲覧できる。またキーワード検索と発行年による検索が可能で、拡大縮小、印刷などの機能がある。
今回のデジタル化の目的は主に2つあり、劣化の激しい紙媒体を永久に使用できるデジタルデータにすること、また当社の編集者や記者をはじめ利用者がキーワード検索で該当する記事を簡単に確実に抽出できるようにすることにあった。デジタル化にあたっては、創刊号から2000年までの87年分、すべての記事のスキャニングと検索用テキストの抽出が必要となり、前者に関してはデータを快適に閲覧でき、また二次使用が可能な解像度であること、後者に関しては正確なテキスト情報の抽出と整理が要件となった。
実際には、まず合本を解く作業から始め、スキャニングのテスト、画像フォーマットの決定、そしてなるべく現物に忠実になるような画像修正方針などについて決めた。このスキャニングのテストと同時進行で、検索用のテキストを抽出しつつ異体字や固有名詞などの表記統一を行った後、本作業に入った。その後は本スキャンを行いながら、欠本・破損等があれば図書館等に手配してスキャンを続け、同時にテキストの校正と整理も進めるなどし、1年半ほどで完成させることができた。

近現代建築資料

平成25年度 第3回研究会「逓信建築(吉田鉄郎関連資料他)のデジタルアーカイブ化について」

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東京中央郵便局(設計: 吉田鉄郎) 1933年

19世紀後半、日本の郵便や通信を管轄した官庁「逓信省」から、通信事業の部門を担い、電気通信省・電電公社を経て、1992年、株式会社NTTファシリティーズは設立された。現在は、エネルギーやITシステムとともに、ビルや建物の設計から維持管理まで一貫した事業を行っている。ここで資料整理からデジタル・アーカイブ化に至るまで関わった2人が、発表を行った。
同社には、逓信省の時代から現在まで引き継がれてきた、逓信建築*資料があり、図面、写真、文書、原稿、手紙、動画、証書類等多岐に渡る。これらの資料は、当時建築に関わった方々の高齢化による寄贈案件の増加、NTT東日本関東病院の改築を契機とした資料整理の取組強化、逓信建築の先駆者・吉田鉄郎(1894-1956年)関係の大量の資料を入手したことなどによって、近年増加傾向にあった。そして、現物資料の劣化への危機感が、デジタル・アーカイブ化を促進した。
このうち、デジタル・アーカイブ化の手順について、吉田鉄郎関係の資料を例に、話を進めた。まず、大まかなボリュームを把握してサンプル調査を進め、出版できるかどうかを視野に入れ資料整理を進行した。資料内容を分類した後、資料内容の構成を常に考え、デジタル化を開始した。例えば建築図面のデジタル化では、図面の建築史的な位置づけを勘案しながらスキャンの解像度を決めたほか、どのような細目の情報を取るかなども検討した。この資料整理と並行して、もともと作られていた社内向けの逓信建築アーカイブスの改訂を進めた。建築家達の若い頃のポートレイトを採用したのは、この資料類が、若い世代に引き継がれることを期待し、時代は異なるが同世代の建築技術者達に共感を持ってもらうことが重要だと考えたからである。この方針に沿って、作品の履歴やディテール、交流関係などの情報を整えていった。
最後に、吉田と建築家ブルーノ・タウト(1880-1938年)との交流について、戦時色強まる日本とドイツの社会情勢を背景とした手紙や日記から分かったことを、貴重なスライドを交えつつ、発表した。タウトは、1933年に来日し、京都の桂離宮を世界に知らしめた人物として有名である。吉田は、タウトと流暢なドイツ語で語り、建材の話をしたり、時に深い心情をも語り合ったことが分かった。吉田にとってタウトは、建築に大きな影響を与えた人物として重要であるということが、アーカイブ化を通じて、浮き彫りになった。

*逓信建築(ていしん・けんちく)とは、郵便・電信・電話・電気事業の局舎等の施設を逓信省営繕課の技師たち、例えば岩元禄、山田守、吉田鉄郎らが設計した、機能主義、合理主義に基づいた実在の建築物を指す。

近現代建築資料

平成25年度 第2回研究会「戦後モダニズム建築の評価と保存―東海大学湘南キャンパスなど」

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東海大学湘南校舎1号館(設計: 山田守 1963年)

(1)近代建築の保存と資料化—DOCOMOMOの取り組み
発表者: 渡邉 研司

発表者は、大学・大学院を通じて建築史を研究し、その後本学と縁の深い芦原建築設計研究所へ入所したという経歴を持つ。その後、英国への留学を経て、帰国後に開始したDOCOMOMO(Documentation and Conservation of buildings, sites and neighborhoods of Modern Movement)の活動について、発表を行った。
DOCOMOMOは、20世紀前半の建築文化の消滅への危機感から立ち上がった団体である。近代建築の保存に関する活動を行っており、会報など出版物の発行、セミナーや展覧会等を行っている。後者の例として、「文化遺産としてのモダニズム建築展 DOCOMOMO20選」(神奈川県立近代美術館、2000年)、「文化遺産としてのモダニズム建築 DOCOMOMO 100選展」(パナソニック 汐留ミュージアム、2005年)の開催がある。
活動の中で重要なのは、保存をするための評価基準や年代などの枠組みの決定である。また「Documentation of architecture」つまり「Identification of architecture」ということも重要で、その建築がどういうものかを示す、ドローイング、ドキュメント、スケッチ、フォトグラフ等整理をし、またそのフォーマットを整備する必要がある。
最後に、DOCOMOMOのケーススタディーとして、いくつかの建築を紹介した。東京中央郵便局(東京)や国際文化会館(東京)をはじめ、世界遺産に選ばれた近代建築の例として、シドニー・オペラハウス(Sydney Opera Houseオーストラリア)、大学の例として、メキシコ国立自治大学(Universidad Nacional Autonoma de Mexicoメキシコ)、西安建築科技大学(Xi’an University of Architecture and Technology中国)などを例示した。また保存事例のコンペティションも行っており、なかでも八幡浜市立日土小学校(愛媛)の保存再生は、重要文化財選定へともつながったという点で重要であった。


(2)建築家・山田 守と東海大学湘南校舎キャンパス計画について
発表者:大宮司 勝弘

発表者は、東海大学・大学院を修了後、東京家政学院大学の助手を経て、同大助教に着任。2006年、建築家・山田 守(1894-1966年)の設計事務所の資料が建築学会に譲渡されることが決まり、これを契機に開催されることになった展覧会の準備に関わったことから山田 守研究を開始した。今回は、山田の経歴とともに、彼が手掛け、そして発表者自身の出身校でもある、東海大学のキャンパスについて、発表を行った。
山田は、岐阜県に生まれ、東京帝国大学工学部建築学科に入学。4年生の時には、建築は芸術であるという考えに基づき、石本喜久治、堀口捨己らとともに分離派建築会を立ち上げた。卒業後は、当時建築家の花形であった逓信省の技官となって活躍した。現存する山田の建築で最も古いのは、1924年の門司郵便局電話分室(現・NTT門司電気通信レトロ館)で、分離派の金字塔といわれた1925年の東京中央電信局(現存しない)は繰り返すパラボラアーチが印象的な建物である。しかし、1929年の欧米視察での、ワルター・グロピウス(1883-1969年)、ル・コルビュジエ(1887-1965年)ら当時最先端を行く建築家との出会いを通じて、作風は、装飾のない、モダンなインターナショナルスタイルに変化していった。その後は、逓信協会賞を受賞した東京逓信病院(1937年)、東京厚生年金病院(1953年)、大阪厚生年金病院(1954年)など多くの病院建築のほか、DOCOMOMO100選にも選ばれた長沢浄水場(1957年)、山田邸(1959年)、日本武道館(1964年)、京都タワービル(同年)などを手掛けた。山田が生涯で設計した建物は、おそらく300を超えるという。
そして1963年、山田の手によって、小田急線の東海大学前駅から徒歩15分の所に、広大な敷地を有する東海大学湘南キャンパスの校舎建設が開始された。着工当初から8年間とかなりの急ピッチで建築計画が実行され、山田の死後も進められた。このキャンパスでは、北側に大きな教室群、南側に体育館と工学実験棟群が並び、真ん中にはグラウンドを配置、そしてそこを南北に大通りが突き抜け、軸線を形成している。このキャンパスに特徴的なのは、山田の建築家としての個性が発揮された建物群である。例えば、建物全体のY字型をした1号館は東京厚生年金病院に、スロープのある研究実験棟は東京逓信病院につながる造形である。東海大学湘南キャンパスは、曲線を用いた印象的な建物を多く残した山田の代表作といえるだろう。

近現代建築資料

平成25年度 第1回研究会「1960年代 建築図面の読み方」

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武蔵野美術大学鷹の台校舎 図面(芦原義信建築設計研究所)

長年大成建設に勤務し、数々の建築プロジェクトに関わってきた発表者が、1960年代の建築図面の読み解き方についての発表を行った。
まずは、建築家が残した設計図の全体像の理解の仕方について考えてみよう。建築家は思想と理念をもとに、二つのタイプの設計図、すなわち建築家が自らの理念・アイデアを考えるためのものと、建築の現場に自分の建築空間をどう伝えるかというものを作る。これらは必ずしも整然と分けられるものではなく機能が重複するものもあるが、おおまかに言えば、前者に関しては、

  • ①アイデアを描出したスケッチ
  • ②基本設計の平面図や立面図など
  • ③実施設計のための詳細図や天井伏図、設備計画、構造計画図など

がある。そして後者に関しては、建築家の設計意図を社会の生産システムに乗せ、現場に指示を出すための

  • ①実施設計図書
  • ②施工図各種
  • ③設計変更のための指示書
  • ④写真類など

がある。ここで、アルヴァ・アアルト(1898-1976年)、ルイス・カーン(1901-1974年)、安藤忠雄(1941年- )ら三人の建築家の設計図を例示した。図面を読み込んでいくと、彼らのアイデアが建物になるとき、どのタイミングでアイデアが空間になり検討が加えられたかなどが分かってくる。また矩計図(建築部材の納まりや寸法等を記載した詳細な断面図)は重要で、設計図と現場をつなぐキーとなる図面である。建築家が平面スケッチの次に検討してきた図面であろう。かつては、建具は建築家が関わる重要な検討課題であったが、近年建具の断面などは、サッシュメーカーが検討したものを建築家が再検討することが多くなった。建築家が形の詳細にどこまで拘るかは人によって異なる。アアルトは基本設計の段階で家具や収納棚の詳細まで、カーンはさらに階段の詳細まで描く。安藤も建具部材断面の形までスケッチしているし、またミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969年)は全ての構造材や建具をスケッチし設計図書としたと思われる。
上述のような設計図書群への理解を深め、今回アーカイブセンターに集められた芦原義信の設計図書、あるいは設計図書ではない各資料のポジションを、資料整理を進める中でどう把握するかが重要となる。スケッチ、基本設計図書、実施設計図書の他にも写真や手紙等種類も様々でかつ膨大な量であるがゆえに、プロジェクト毎、図面毎にフォーマットを決めて取りかかるべきである。またそれらを見る目(グッド・アイ)も重要で、図面上の情報以上に読み取れることがあれば、それを次の世代の研究者のために整理、分類し残しておくことを期待している。