新島 実(武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科教授、造形研究センター研究プロジェクト長)

和様刊本」とは、本文に匡郭および行間に界線を用いない版面を持ち、和語による漢字平仮名交じり文、漢字片仮名交じり文で表記されている刊本のことを言う。

和語表記による和様刊本の河口域

図案」の時代を象徴する三冊と仮名書体

和語表記による和様刊本の源流」は、2012 年 10 月に本学の美術館にて開催した「近現代のブックデザイン考 I」をその基点としている。明治期から第二次大戦までの間に刊行された書物を対象とした、いわゆる「図案」と呼ばれていた時代の書物の美を探ることを目的とした研究だ。そしてここでは書物の持つ美を、造本の美」「装丁の美」「本文の美」と三分類にして主に本学の蔵書の中から該当する書物を取り出した。書物の美を考える時こんなに明快にそれぞれの書物を分類できるわけではない。本来は三つの要素が一体となっている造本こそが書物美のあるべき姿だろう。それでも装丁のみが傑出している、装丁は今ひとつだが本文の組には見るべきものがあるなど書物の表情は様々で、書庫から一冊ずつ取り出しながら手に取り見ていく作業は実に興味深く楽しいものだった。そしてこの作業を始めて直ぐにこの時期の書物の持つ柔らかな感触が指先から伝わってきた。本が軽く手になじむのである。この時に取り出した書物で印象深かった三冊が有る。この三冊は私にとって今回の研究を始める誘因となった書物である。
 一冊は、泉鏡花と小村雪岱による鏡花本と呼ばれるうちの『粧蝶集』だ 図 1。この本を手に取ったとき、直ぐに黒い揚羽蝶に引きつけられた。この漆黒の黒はどのように印刷されているのか見当がつかなかった。調べていくうちに漆が使われていることが分かった。オフセット印刷で常に黒い色の発色に悩まされ、納得のいく黒を印刷で再現することの難しさを痛いほど感じていただけに、この黒い揚羽蝶には感動すら覚えた。しかも木版印刷である。京都の摺り師によれば、日本の木版印刷の到達点は明治に入ってからで、この時期の多色摺りの完成度は群を抜いていると言う。石川県金沢市の泉鏡花記念館の展示では、この優れた
 木版印刷の技術と表現との絶妙な関係を、試し摺りを同時に並べながら完成品と比べて見せてくれている。小村雪岱の造形を摺り師と彫り師がコンマ数ミリの精度をもって再現している。この絹本に再現された絵画の木版摺りによる柔らかな再現は日本の刊本の造本美を象徴している。
 二冊目は夏目漱石の『吾輩ハ猫デアル』の中編の序だ 図 2。正岡子規の手紙を漢字片仮名交じりで、漱石自らの文を漢字平仮名交じりで組上げている箇所がある。子規の文は漱石に宛てた手紙をそのままに組み上げているのだが、この組み版上の短いやりとりからは、二種の仮名を使って日本語を組めることの幸運を感じる。日本語の組み版が仮名の字形によってその表情が大きく変化することは既によく言われているが、片仮名」と「平仮名」との組み合わせがこれ程の効果を生じさせるとは意外だった。この漢字と仮名の組み合わせによる日本語の表記は、和語とは異なる表記を表す漢字を移入しながらもこの漢字を捨てることなく使いこなしてきた人々の、言葉を記録する為の工夫の連続の結果に他ならない。
 三冊目は同じく夏目漱石の『こころ』だが、漱石の自装だ 図 3。本体の装丁は中国古代の石鼓文の石刷りされた拓本を用い版面の少し上に『康熙字典』から「心」の項を抜き出し漱石所蔵の安永 9 年京都版を用いて木版にて復元したものを貼り付けてある( 漱石と世紀末芸術』佐渡谷重信 昭和 57 年 美術公論社 138 頁。外箱は本体の朱色に対して少し黄赤を濁らせて石版刷りにて牡丹が光悦謡本を想起させる「和様の美」を作り出している。漱石自身が好んだ中国の古の美を和様の美で包んでいる。そこに創り出された美の重層は確かな知識に依って裏付けられている。時代と領域を超えた知識は、美という個人的な感覚に変換され、その美的な感覚はさらに書物の形を通して通底化されていた。この『こころ』の造本は、私に美と書物との関係を探る糸口を与えてくれた。佐村八郎の『国書解題』に使用された築地書体の平仮名は欧文で言うところの「オールドスタイル」の仮名である 図 4。明治 42 年の版から取り出した。印刷は東京築地活版製造所だ。左側の小塚明朝体に比べて文字の大きさは不揃いだが平仮名特有の曲線は筆の柔らかさを残している。経験を積まないと納得のいく組み版は得られないが、美しい活字だ。平仮名に関しては、連綿されていた文字がどのようにして正方形の枠の中に納められるように書かれたのかとの疑問を以前から持っていたが、この疑問を辿ることで平仮名交じり文の流れを辿ることが出来るのではないかと考えた。
 日本の近世の美術における言葉や絵画の表現が、木」と「紙」の性質を使いこなすことで再現されていることは周知のことである。明治に入って本文の複製では木版の凸版から金属の凸版印刷に移行していくが、再現された文字や図像には凸版印刷の特徴である印圧によるマージナルゾーンが必ず残る。この印圧によって生じるマージナルゾーンのコントロールが、印刷物の善し悪しを決定する大きな要因となるが、西も東も、昔もそして近現代までに共通する興味深い形象であり、特に近世の文字印刷物を見ていく時には大きな助けとなる。この「木」と「紙」を今回の研究の造形的な視座の中心に置き、日本語表記と先に述べた図案の時代の「三冊」と仮名の字形を関係させながら近世の刊本の美を探ることとした。

和様刊本の源流域

和様刊本の源流域は当然のこととして、漢字平仮名交じり文と漢字片仮名交じり文の二つの流れが考えられる。幸いにも民藝運動を主導した柳宗悦の『蒐集物語』から、浄土真宗の漢字片仮名交じり文刊本の源流域に対する指摘があり、駒場の民藝館を訪ねそれらの書物を拝見した。しかし後に源流域の書物、蓮如上人によって開版された所謂『三帖和讃』であるが、この書物には龍谷大学蔵、大谷大学蔵など諸本が存在し、どの本を源流とするかの書誌学的な結論を得るには至っていない。専門家の判断を待たねばならないが、今回は偶然にもその源流と考えられる『三帖和讃』に出会えることが出来た。また漢字平仮名交じり文の源流として、浄土宗の『黒谷上人語燈録』をやはり『蒐集物語』からの指摘で辿ることが出来た。これらの浄土教の書物に強い興味を抱いたのは、その和様の造本美と浄土真宗の片仮名の美しさにも依るが、共に開版の意図が「普通の人々の為に分かり易く」とあり、我々デザインに携わる者にとっての目的に重なるとの理由が大きい。仏書の特に浄土真宗の刊本では、字・語・句の間に記された小さな赤い円の代わりに、小さな空きを作ることで、日本語の表記を一新させた。嵯峨本謡本の世界では欧文の活字とは異なる、全角を規準とした連続活字の仕組みを考案し、連綿された平仮名の美しさの再現に成功した。また謡本の表紙では、摺りムラの美しさを意識して作り出すために、板木の表面には殆ど調子は彫られていない。このベタ面を用いたムラ摺は謡本の美を象徴している。
 近世の和様刊本の源流域は、木」と「紙」の「やわらか」で「良い加減」な美の流域が広がっていた。そしてこちらが意識すれば興味ある問題が幾らでも引き出すことができる、日本のデザインの揺籃期だった。

※詳細は、展覧会図録『和語表記による和様刊本の源流:論考篇』pp. 6-11、pp.110-135 を参照。

天文版『三帖色紙和讃』の復元

本研究では、漢字片仮名交じり文の刊本の源流にあたる、浄土真宗の『三帖和讃』の造形的特質を検証するために、特に重要な意義を持つ天文版『三帖色紙和讃』の「復元」再制作)を行なった。同書は『三帖和讃』のなかでも最古版にあたる「文明版」の版木をもとにして、若干の修正を加えた本文を、辰砂と黄檗で表裏を染め分けた色替り料紙に摺った版本である。わけても、柳宗悦により紹介された城端別院善徳寺の「天文版」は、色替り料紙のみならず四周に金銀箔の装飾が施され、その造本は比類ない美しさを有している。
 復元にあたっては、本泉寺本の「文明版」をもとにして「天文版」の本文を復元した。対象とする箇所は図に示した二丁のみであるが、色替り料紙と金銀箔による装飾も含め、復元により得られる造形学的知見は少なくない。現在も文字彫刻の工程や金銀箔の重ね方などを検証しながら、復元作業を進めている。

※復元にあたり、富山県南砺市の城端別院善徳寺と、石川県金沢市の本泉寺から承諾を得た。
※復元の過程で得られた造形学的知見の詳細は、展覧会図録『和語表記による和様刊本の源流:図版篇』pp.22-69、同:論考篇』pp.6-37 を参照。

天文版『三帖色紙和讃』:本文の復元試作
天文版『三帖色紙和讃』:装飾の復元試作

嵯峨本謡本復元プロジェクト

漢字平仮名交じり文による刊本の流れのなかで、国文学を内容とする書物の源流にあたるのが「嵯峨本」である。なかでも、慶長期に角倉素庵らによって刊行された「嵯峨本謡本」通称「光悦謡本」は、百帖を一組とする大部の書物でありながら、雲母や胡粉が施された装飾料紙に、光悦流書風の木活字書体や列帖装による装幀など、他に類例のない優美な意匠を特徴としている。しかし、嵯峨本謡本」は印刷の際に使用された木活字や摺刷盤などが発見されておらず、木と和紙を材料とするしなやかな造形や、活字印刷による合理性等、その技術的背景の全容は未だに解明されていない。
 本プロジェクトでは、嵯峨本謡本」百帖のうち「三井寺」一帖を復元することを試みた。京都の職人の協力を得て、肉筆版下にもとづく木活字の制作から、料紙制作、組版、印刷、製本に到るまで、嵯峨本謡本」の造本プロセスを丹念に辿りながら、その造形を背後で支える技術面の再現と検証を進めた。木活字の版下は、京都鷹峯の光悦寺が所蔵する光悦流書風の未装本写本から制作した。本研究により、慶長期の木版印刷術の粋を集めたその技術と出版規模の一端を知ることができた。

※復元にあたり、京都鷹峯の光悦寺から承諾を得た。
※復元の過程で得られた造形学的知見の詳細は、和語表記による和様刊本の源流:図版篇』pp.70-137、同:論考篇』pp.262-302 を参照。

嵯峨本謡本『三井寺』左から特製本・上製本)の復元試作
嵯峨本謡本『三井寺』本文の復元試作

以上の復元作業を通して、近世日本の木版印刷資料の源流域にあたる書物の造形学的な研究が可能となり、多くの新たな知見を得ることができた。実際に復元を行なう過程においては、職人の絶妙な連携を通して形が生成される。分業制でありながらも親方によって統率され、個別な感覚の繋がりが日本の美を作り出してきたことが実感できた。もし日本の刊本が「木」ではなく「金属」により印刷されていたとすれば、われわれの文化の形は今とは異なるものとなっていたと考えられる。
 今日のわれわれが持つデジタル技術は、明治以降に導入された金属活字・写植の時代には困難であると考えられていた、書体開発や組版の新たな方法を可能にしている。だからこそ改めて、本研究プロジェクトで見出した「字力」や「古格」といった掴みがたい考え方を、書体デザインや造本デザインに取り込むことができるはずである。和様刊本の源流域には造形を超えた世界が存在するが、それは 500 年も前から、われわれが指向すべきデザインのあるべき姿を見せてくれていた。